人は 人々は。​
暮らしの中で時をかさねそれぞれの立場で生きている
「名前(役割)」が与えられているもの
「名前(役割)」のないもの
そのはざまに生きているものたちもすべて共鳴し今を生きている
社会に惑わされることもある
与えられた役割は自分の側面に過ぎないだろう​
ただ存在する人がここにいる​​​​​​​
その確認ができるのは自分自身だけだ。
photo by nishitani tsukihiko
"主人公" "I am" 59cm × 145cm
ポリスチレンフォーム キャンバス 鏡 アクリル絵具 透明水彩絵具 2020
"主人公" "I am"

自分は 果たしてジブンが思うような
自分自身であるか

自分を形成しているものはジブンが思うより多いのかもしれない
立場や年齢、性別、人種 様々な面で自分はできあがっている
それは時代が変わるたび 更新されているものだ
他者から見られる自分も そのたびに変わっているだろう

鏡は毎日使用する
他者に見られることを意識し化粧をし、気分の確認をし、整える
見られたい こうなりたい自分を形成させる道具のひとつだ

その鏡に自分はどう映るのか
映るのはまぎれもなく今の自分自身だ
photo by nishitani tsukihiko
広告を目にしない日はない。
何をそんなに主張しなければいけないのか私にはわからない。
わかっているのは主張していることと主張していないこと、どちらも大事なんじゃないかということ。
人は、主張する人だけが人として認識されるのだろうか
主張できない、しない人もまた、人であることに違いはない。

風景はどうだろう
人以外の自然は常に成長してそこにたたずむ、流れる。
人も同じではないのだろうか。

キャンバスに描かれる人のようなシルエットは、主張しきれない人々だ。
その人々は街の片隅で見る広告のように壁に貼り付けられている。
広告の周りには、風景のような色彩がまとい、空間を埋める。
まるで自然の流れのように。

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